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3/19

二日酔いが酷い('A`) 僕ももう良いオトナなのに…
一人でいることの精神的負担はかなり減った。休日だから、っていうのは大きいと思う。にしても環境的に恵まれている自分でさえ、この負担か。
最近は飯を食うこと自体が、染みる。無事に御飯食べれる喜びを、切に感じる。

一旦まとめ。
3.11以降、徐々にだけど日常が失われた事を実感する。変化が急激過ぎて、適応できない戸惑いや不安を誰もが抱いている。原発問題、本当に大丈夫なのか。また大きな地震はやってこないだろうか。光を失った街並み、襲われたりしないだろうか。今日はどのルート辿って会社に行こうか、または帰ろうか。コンビニは相変わらず空だな。避難所で一命を取り留めた人まで死んでゆくのだな。

被災地を支えるはずの東京、関東人は、非常に不安定な状態にある。

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3/18

ノートPCを持ち帰る必要があるため、この日は電車通勤。今週に入ってからは初だ。
気持ち早めに家をでる。電車通勤者、一様にピリピリしているのは気のせいだろうか。

一週間が長い。一日ごとに、何かしら予期せぬことが起こる。それでも僕はマシな方、というより恵まれている。家から職場まで近い、なによりチャリが使えるわけで。そんな自分でさえ、精神的にかなり削られている思いだ。やっぱり仕事に集中できない。ニュースが気になる。

輪番停電の影響よる交通事故が都内で数件あった。場所によって信号が動いてたり動かなかったり。
軽い怪我、ではなく死亡または重体らしい。報道のされ方が小さいような…
これは事故だったけど、事件となってくると本当に恐ろしい。

帰宅時、列車の運行状況を確認する。通常の何割かは本数が減っているようだ。今までに経験しなかった満員帰宅列車。やっぱり周りはピリピリしてる。

ここまで日常が狂うと、何が起こってもおかしくない。外を歩いても電車の中でも、他人を警戒するようになる。今までただの他人だった人々が、いつモンスター化してもおかしくない。そんな空気を勝手に感じ取っていた。

近所のラーメン屋で酒をかっくらう。顔なじみの店長に、「なんかピリピリしてるよね、皆。そう思うの俺だけかなぁ」と話していたら、隣の席のおにーさんが「そう思いますよ」と同調。飲み屋(ラーメン屋だけど)で他のお客と会話したの初めてだなぁ。

その夜、3口ゲロくらい吐くw 翌朝二日酔い。

そういや、今週に入ってからは職場の人ともお喋りする事が多くなったなぁ。話題はめっきり原発や災害、停電の話だけど。

一人でも大丈夫なことで定評のある自分が。変わったもんだw 個人的には、良い傾向だとは思う。

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3/17

急激に冷え込む。なんと被災地によっては雪が降っているんだとか。死人にムチ打ちとはこのことだろう、もうテレビみていられない…

募金先は郵便局が良い、という話を聞く。救援団体によって振込先が分かれるんだなー。初めて知った。当初使おうと思ってたフジネットワーク基金のみずほ銀行はシステムダウン中か。

今週に入ってから、余震が無い人はなく、だいたい震度3以上が最低でも1日1回ある。揺れが少ない分、自宅のがマシかもしれない。自宅はアパートの2Fなんで、いざとなれば飛び降り脱出できるし。

17時を回った頃、何人かちらほら帰宅される方々が。
『帰らないでいいの?』
え、なんでですか?
『ほら、停電が』
都内は大丈夫ですよ
『今日は寒いから暖房使うところが多くて、供給がおっつかないんだって。予測不能の停電が起きるらしいよ』
マジっすか…

もう受け入れましたよ、とは同僚の弁。そうだね、そのほうが楽かも。停電が起こっても帰れるように、エレベーター使えないので非常階段までのルート確保(セキュリティ付のドアなので開けっ放しに)、懐中電灯はないので携帯電話のバッテリー確認。焼け石に水の節電実施。

結局、輪番停電ではない停電は起きなかった。チャリで帰宅中、一部の街灯が消灯していた。こーれは。

都内では輪番停電が行われないものの、特にチェーン店のコンビニや飲食店では自主的に看板の灯りを落としているところが多い。相まって、まるで田舎のような街並み、でも高層ビルは建ち並ぶ。住んでいるのは同じ人々、見慣れた建物、でももはや別世界。
もちろんこの努力が、被災地への電力供給に大きな良い影響を与えている事は疑うべくもないのだけど。

俺が犯罪者だったら、これに乗じるね。間違いなく。都内よりも輪番停電が行われる地域、夕方以降。今後は治安が悪化していくのではないか。特に女性の不安は相当なものなのでは。

名古屋に出張に行った人の話では、いつもどおりの日常だったという(愛知は60Hz)。それは僕らからしてみたら、既に失われた日常でもあり、これから取り戻していく日常でもあり。新幹線一本、1時間半で別の国に行けてしまうんだなぁ。

画像は街灯のない国道うんちゃら号。
gaitou_nashi.jpg

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3/16

人恋しいのがピーク。話し相手を増やそうと、今まで積極的に避けていた職場の人との交流が増えていく。最近よく話すようになった後輩たちと連絡先を交換する。

仕事後に茨城の祖母に電話。元気そうでなによりだった。

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3/15

輪番停電が徐々に本格化。エレベーターに閉じ込められる人、十数件。その他細かい弊害がいろいろと。

電車の運行は徐々にマシに。それでも出勤者は自分が辿るルートに問題がないか調べた上で出勤する。退勤時にしてもそう。その苦労たるや、チャリ通勤の僕には計り知れない。

買いだめ騒動が浸透。様々なデマが出回っているらしい。

人々の不安からくる、「このままだとこうなんじゃないか」という噂があたかも事実のように口コミで巡っていく。買いだめしているのは、そういう暇な主婦や老人達だ。「子供のためにカップ麺を…」気持ちはわからなくもない。でも必要十分な避難セットさえ用意しておけば、それだけで数日生き延びられるはずで、あなた方が買いまくったカップ麺、災害時に避難所まで持ち出せると思ってるのだろうか。
多少日持ちするとはいえ、将来的にきっと腐らすことになると思う。腐らせた飯の数は、ダイレクトに今生きている人々の命に直結する。

また、都内できっつい放射線量を計測。原発がこのままの状態で、最悪な事態になったらどうなるか?安心出来る材料を捜し回る。吸っても大丈夫な空気なのかな、息が詰まる。

Skypeで福島に住んでいる子とチャットで会話。今そっちの電気がつかえるのは、僕が今朝冷蔵庫を止めたから、と思えば頑張れる。

寝酒は欠かせない。

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3/14

本当だった。
東電は午前6時頃から停電を開始するとしていたけど直前にそれを撤回。停電は行われなかったものの、それに合わせて鉄道各社は運転本数を大幅に削減したり運休したり。はっきり言って大混乱だった。
それに加えて気象庁の見解として、ここ数日以内にマグニチュード7クラスの地震が起こる確率70%以上。次あれ来たら死ぬんですが…最低でも精神的に死ぬ。

なんとか乗り継ぎ、実家からオフィスまでは2時間くらいだった。節電のためか、灯りはつけていない。
仕事を初めて間もなく、震度4くらいの地震。やっぱり精神的にこたえる。

よくある、震災の時に被災者の人が「余震が怖いです」って言うのみて、「そうそうデカいの来るわけないのに、そんなにビビることかな?」って思ってたけど、本っっ当にゴメンなさい。めちゃくちゃ怖いです。命張るような仕事じゃないのになぁ、ここに長居したくないなぁ。なんかあったら逃げたくても逃げ場ないからね。
それに加えて数時間単位で悪化する原発の状況。はっきり言って仕事どころじゃなかった。

帰り道で後輩と一緒になる。
『いやー、やっぱりしんどいですよね』
え、なにが?
『地震ですよ。またいつくるかと思うと…』
あ、おれだけじゃなかったんだ!

輪番停電は結局夕方にちょこっと行われただけ。
父とメールのやりとり。当然というか、家に帰れないようだ。「頑張るよ〜(絵文字)」に思わず涙が出そうになる。

ミョーに人恋しい。酒かっくらって寝る。

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3/12-13

姉のPCが壊れたと前々から聞いていたのもあって実家へ帰る。それがなくても、心境的には一人でいたくなかったかもしれない。実家では両親と姉夫婦と姪姉妹が暮らしてて。
土曜は東電に勤める父が帰ってきた。一般公開に先立ち、「明日から輪番停電だ」と聞く。正直、ヘーそうなんだくらいにしか思ってなかった。甘かった。

震災に関するニュースを眺めながら姪っこ達と遊ぶ。これは募金しないとなぁ、節電しないとなぁ、支える側の東京をはじめとした関東が頑張らないとな!などと思ってた。甘かったなぁ。
節電については、極端な話、自分が今まで通りガンガン電気を使うことで、東北の病院で生命維持装置的なものを使ってる人が、停電によって命を失ったら、とか思うと…

日曜の晩、ついボソっと「明日会社、っていうかあのビルに戻りたくないな」と呟いてしまう。若干トラウマになりかけ。そんくらいの揺れだった。

テレビでは明日の輪番停電を受けて、「JRでは通勤や通学を控えるよう呼びかけています」。…なにいってんだコイツ?

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3/11

職場は全30階からなる、そこそこの高層ビル。
うちの職場はだいたいその中間。最近のビルはどこも同じなのか、免震構造といって地震が起きた時はビルを揺らして被害を抑えるっていう造りになっているらしい。ショックアブソーバーが付いてるとかなんとか。
そんなわけでめちゃくちゃ揺れた。少し死の覚悟をしたくらい。
一旦1Fへ避難して、また職場に戻って荷物もって1Fまで降りた。すべて階段で。その日はチャリで通勤してたけど、途中まで徒歩帰宅する人達と歩いて帰った。僕はかなり恵まれている方で30分程度で着くんだけど、4−5時間かけて徒歩で帰った人もザラにいる。
いや、会社とかに泊まればいいのにね、とは思ったw

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生き永らえています

この一週間、とても長かった。別に被災地ではない東京に住む人間の視点から地震後の一週間について振り返ってみようと思う。

筆者スペック
年齢:31才♂
職業:某外資系ソフトウェア販売会社勤務
住所:都内某区、職場までチャリ通勤できる距離(つまり他の人に比べてかなり恵まれている)

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